Monday, 19 October 2015
INDONESIA ECONOMY VERSI 3
Indonesia economy Versi 2
経済[編集]
詳細は「インドネシアの経済」を参照
水牛を用いて稲田を耕している様子。インドネシアは伝統的に農業国である。
IMFによると、2013年のインドネシアのGDPは8,703億ドルであり、世界第16位である。一方、一人当たりのGDPは3,510ドルであり、世界平均の40%に満たない水準である。[1] 2011年にアジア開発銀行が公表した資料によると、1日2ドル未満で暮らす貧困層は1億1743万人と推定されており、国民のおよそ半数を占めている[34]。
インドネシアは基本的に農業国である。1960年代に稲作の生産力増強に力が入れられ、植民地期からの品種改良事業も強化された。改良品種IR8のような高収量品種は他にもつくられ、農村に普及し栽培された。このような「緑の改革」の結果、1984年にはコメの自給が達成された。しかし、1980年代後半には「緑の改革」熱も冷めてゆき、同年代の末にはコメの輸入が増加するに至った。[35]。 農林業ではカカオ、キャッサバ、キャベツ、ココナッツ、米、コーヒー豆、サツマイモ、大豆、タバコ、茶、天然ゴム、トウモロコシ、パイナップル、バナナ、落花生の生産量が多い。特にココナッツの生産量は2003年時点で世界一である。オイルパーム(アブラヤシ)から精製されるパームオイル(ヤシ油)は、植物油の原料の一つで、1990年代後半日本国内では菜種油・大豆油に次いで第3位で、食用・洗剤・シャンプー・化粧品の原料として需要の増大が見込まれている。このパームオイルの生産国の第1位はマレーシア(2001年、1190万8000トン)、2位はインドネシア(同年、893万トン)で、この2国だけで世界の82.4%を生産している。このためオイルパーム・プランテーションの増勢が行われる。アブラヤシの栽培面積は2000年にはココヤシと並び、2005年には548万ヘクタールとなった(インドネシア中央統計庁(BPS)による。)[36]。
鉱業資源にも恵まれ、金、スズ、石油、石炭、天然ガス、銅、ニッケルの採掘量が多い。1982年、1984年、日本からの政府開発援助(ODA)でスマトラ島北部のトバ湖から流れ出るアサハン川の水でアサハン・ダム(最大出力51.3万キロワット)とマラッカ海峡に面したクアラタンジュンにアサハン・アルミ精錬工場が建設された[37]。ニッケル鉱山は、南東スラウェシ州コラカ沖のパダマラン島のポマラと南スラウェシ州ソロアコ(サロアコ)にある。生産の80%が日本に輸出されている。ニッケルはカナダの多国籍企業インコ社が支配している。多国籍企業のインドネシア進出はスハルト体制発足後の1967年外資法制定以降であり、採掘・伐採権を確保している。また、日本企業6社が出資している。鉱山採掘に伴い森林伐採で付近住民と土地問題で争いが起こる[38]。
日本は天然ガスからつくるLNGをインドネシアから最も輸入している。2004年以降は原油の輸入量が輸出量を上回る状態であるため、OPEC(石油輸出国機構)を2009年1月に脱退した。
工業では軽工業、食品工業、織物、石油精製が盛ん。コプラパーム油のほか、化学繊維、パルプ、窒素肥料などの工業が確立している。 パナソニック、オムロン、ブリヂストンをはじめとした日系企業が現地に子会社・あるいは合弁などの形態で、多数進出している。
ジャカルタはインドネシア経済の中枢であり、東南アジア屈指の世界都市である。
独立後、政府は主要産業を国有化し、保護政策の下で工業を発展させてきた。1989年には、戦略的対応が必要な産業として製鉄、航空機製造、銃器製造などを指定し、戦略産業を手掛ける行政組織として戦略産業管理庁(Badan Pengelora Industri Strategis)を発足させている。しかし同時に、華人系企業との癒着や、スハルト大統領ら政府高官の親族によるファミリービジネス等が社会問題化し、1996年には国民車・ティモールの販売を巡ってWTOを舞台とする国際問題にまで発展した。しかし、1997年のアジア通貨危機の発生により、インドネシア経済は混乱状態に陥り、スハルト大統領は退陣に至った。その後、政府はIMFとの合意によって国営企業の民営化など一連の経済改革を実施したが、失業者の増大や貧富の差の拡大が社会問題となっている。 ただ、改革と好調な個人消費により、GDP成長率は、2003年から2007年まで、4%~6%前後で推移した。2008年には、欧米の経済危機による輸出の伸び悩みや国際的な金融危機の影響等があったものの、6.1%を維持。さらに2009年は、政府の金融安定化策・景気刺激策や堅調な国内消費から、世界的にも比較的安定した成長を維持し、4.5%の成長を達成。名目GDP(国内総生産)は2001年の約1,600億ドルから、2009年には3.3倍の約5393億ドルまで急拡大した。今ではG20の一角をなすまでになっており同じASEAN諸国のベトナムとフィリピンと同様にNEXT11の一角を占め、更にベトナムと共にVISTAの一角を担うなどインドネシア経済の期待は非常に大きい。
ただし、インドネシアは2011年より経常収支が赤字となる状況が続いており、従来から続く財政赤字とともに双子の赤字の状態にある[39][40]。
このような中、日系企業のインドネシア進出は拡大している[41]が、インドネシアが投資環境の面で抱える問題は少なくない。世界銀行の「Doing Business 2011」でも、インドネシアのビジネス環境は183国中121位に順位づけられており、これはASEANの中でも特に悪いランキングである[42]。具体的には、道路、鉄道、通信などのハードインフラの整備が遅れていることのほか、ソフトインフラともいうべき法律面での問題が挙げられる。インドネシアの裁判所や行政機関の判断については、予測可能性が低く、透明性も欠如しており、これがビジネスの大きな阻害要因になっていると繰り返し指摘されている[43]。 これに対し、日本のODAは、ハードインフラ整備の支援に加え、統治能力支援(ガバナンス支援)などソフトインフラ整備の支援も近年行っている。インドネシアの警察に対する市民警察活動促進プロジェクトは、日本の交番システムなどをインドネシアにも導入しようというものであり、日本の技術支援のヒットとされている[44]。また、投資環境整備に直結する支援としては、知的財産権総局を対象とした知的財産に関する法整備支援も継続されている[45]。一方、法的なエンフォースメントの最後を担うことになる裁判所を対象とした法整備支援は、2009年まで行われていた[46] 。
2013年現在では、インドネシアは東南アジア全体でも有数の好景気に沸いており、日本からの投資も2010年には7億1260万ドル(約712億6000万円)であったのが、2012年には25億ドル(約2500億円)へと急増している[27]。一方で、国の経常赤字と資本流入への依存、貧弱なインフラや腐敗した政治や実業界など、いくつかの問題点も指摘されている[47]。2014年の国際協力銀行が日本企業を対象に行ったアンケートでは、海外進出したい国として、中国を抜いて1位となった[48]。
なお、イスラム教徒が多数を占める国らしく、インドネシアの企業は、従業員からメッカ巡礼の希望が出た場合、メッカ巡礼休暇として、最長3カ月の休暇を出す事が法で規定されている[49]。
Monday, 5 October 2015
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